榊山神社境内には、諏訪神社・榊谷神社・荒神社・台場稲荷神社の合わせて四社の摂末社があります。 それぞれの社の祭神・由緒をご紹介します。
長禄元年(1457年)3月、信州諏訪大明神より勧請されました。
明治初年までは独立した神社でしたが、明治37年2月6日、内務大臣の許可を得て境内神社に編入致しました。
天文24年(1555年)社領一石五斗、毛利公より賜う。浅野公よりも同様。
村民はもちろん、家中よりも大変崇敬された神社である。
『古事記』によると、大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子神である建御名方神(タケミナカタノカミ)は、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉にやってきた建御雷神(タケミカヅチノカミ)との力競べに負けて敗走し、信濃国の洲羽海(すわのうみ・現在の諏訪湖)に追い詰められ降参しました。その諏訪の地にまつられたのが諏訪大社です。
中世には【武勇の神】として、武家の崇敬を集めました。また
『古事記』・『日本書紀』では様々な名前で表記されていますが一般には、瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ニニギノミコト)と書かれています。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の子である天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)と高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)の娘である栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)、古事記では萬幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)の子。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたります。兄に天火明命(アメノホアカリ)がいます。
天照大神の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するため、高天原(たかあまのはら)から地上に降りたとされる。これを
榊谷神社は、古くから中溝区の宮として祭られ、熊野中学校の敷地より現在地(榊山神社境内)に移されました。
荒神信仰は西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったといわれています。
広島県には約140社の荒神社があります。
荒神信仰には大別すると二通りの系統があります。(三系統ともいう)。
1.屋内に祀られるいわゆる
屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により(火の神)や(竈-かまど-の神)の荒神信仰に仏教、修験道の〝三宝荒神〟信仰が結びついたものである。
2.屋外の
地荒神は
観世音菩薩(カンゼオンボサツ)・三鬼大権現(サンキダイゴンゲン)
もともとは榊山神社後方に鎮座されていたのを昭和46年2月、台場(八幡山)にて神社再建ののち、平成23年7月に現在地へ移転されました。
『稲荷』の語源は、イネナリ(稲成)という意味で、稲の生成化育する神様を表しています。
また神様が稲を荷なわれたことから、稲荷の字を宛てたともいわれています。
もともとは
観世音菩薩(カンゼオンボサツ)は、観音様・観音菩薩として広く親しまれる菩薩である。
三鬼大権現(サンキダイゴンゲン)は、真言宗系の天狗信仰や山岳仏教の信仰対象となる鬼神である。別名、厳島三鬼坊。
主に広島県廿日市市宮島の弥山の三鬼堂と、同島の大聖院内魔尼殿(まにでん)等に祀られる。
三鬼大権現(サンキダイゴンゲン)は、大小の天狗を眷属に従え、強大な神通力で衆生を救うとされ、地元では三鬼さんと親しまれています。
初代総理大臣の伊藤博文も篤く信仰したといわれる。
・追帳鬼神(ツイチョウキシン) 『福徳』の徳を司る鬼神で、大日如来を本地仏とする。
・時眉鬼神(ジビキシン) 『知恵』の徳を司る鬼神で、虚空蔵菩薩を本地仏とする。
・魔羅鬼神(マラキシン) 『降伏』の徳を司る鬼神で、不動明王を本地仏とする。
弘法大師空海が大同元年(806年)に弥山を開基した時、三鬼大権現(サンキダイゴンゲン)を勧請し、祀ったのが始まりとされる。